相対正義論14
ビルの戦い序
「があああああああっ!」
叫んだのは渓ではなく、首を噛んだほうだった。これ以上ないほど大きく開けた口からは、硝煙のように黒い煙が上がっている。
「被害者が首を食いちぎられていると言う予備知識を持って、何の準備もしてこないと思ったんですか?」
渓の首筋には、清めの札が貼ってあった。強がりを言ったものの、殴られた衝撃はかなり強かった。立ち上がりはしたものの、ひどくふらつく。
腰にさした護身刀を抜く。
「我汝を呼ぶ!東方に鎮座す青龍の眷族よ!!」
木でつくられた刀身が途端に水へと変化する。
『これが真木…隼人?』
襲いかかってきた【もの】は、人とも、鬼とすらも呼べないものだった。
かろうじて人型を保ったそれは、所々が朽ち、白いものが見えている。
外見的には人型の枯れ木、とでもいおうか。ひどく乾き、みている傍からボロボロと崩れている。
鬼のできそこないのひどいもの。
渓が最期の言霊と共に刃を突きたてようとした時、誰かが着物の袂を引っ張った。そのせいで刃がそれ、致命傷を与えるには至らなかった。
「羽鳥先輩?!どうして邪魔をするんですか!!」
涙でぐずぐずになった羽鳥の顔が、振りかえった渓の怒りを迷わせた。
「だって…あれは…あれは真木さんなんだ…」
「何を言って…ちっ!」
狼狽する羽取を引っ張り、ビルの一つに逃げ込む。
「あれはもう、人間じゃない。羽取先輩、真木さんに何があったか、知ってるんですか?」
渓の言葉に、真木が激しく頭を振る。
「俺…怖かったんだ。あの日、あいつらが俺と真木さんを殺そうとした。俺は、俺の横で真木さんの命が無くなっていくのがわかったんだ。その時あいつが、金髪金目の男が、俺が望めば真木さんを生き返らせてやるって言った。
俺はもちろん、その提案に乗ったよ。だって、真木さんは俺の恩人なんだ。」
そして金髪金目の男と話した後、羽取は意識を失ったという。
「でも…目覚めてみたら、真木さんは死んだって聞かされた。俺は、あいつが嘘をついたと思った。だけど…」
寒さに耐えるように、自分の肩を抱く。
「あいつは嘘なんて付かなかった。真木さんは帰ってきた。最初はあんな状態じゃなかった、もっと口も利いたよ、少し何かがおかしいくらいだった。俺、嬉しかった。なのに…!日が経つにつれて、ああやって崩れて…。真木さんは血を欲しがった。俺は怖かった。真木さんに喰われることも、真木さんが襲ったチンピラ達が同じものになって俺に襲いかかってくることも…だから…だから真木さんの食事が終わったら、あいつらの首を切ったんだ。あいつらが生きかえらないように…!」
渓に言ってるとも、誰に言ってるともつかない、悪夢のなかで自分を落ちつかせているような言い方。
「…待ってください、その…生き返るって?」
「だって、あいつ…吸血鬼なんだ…!よくあるだろ、吸血鬼が血を吸った人間は、同じような化け物になるって!怖い、怖い…怖いんだ、あんなのが増えるだなんて…」
恐怖のあまり、人間の首を切る…正常な人間の感覚ではない。それほどまでに羽鳥は追い詰められていたと言うことか。金髪金目の男の話を聞こうと思ったが、羽取は錯乱してそれどころではない。
「真木さんを生き返らせてほしいと願ったのは俺なんだ…だから…」
羽取の眼が、渓を見る。先ほどの理性のある目ではなかった。
「俺が、真木さんの餌を見つけないと---」
羽取が持っていた斧を振りおろすより早く、渓はビルから逃げ出した。
ビルの外には、真木が立っていた。
『Writted by ピコリ』