Doppelganger
低い破裂音が闇に響く。同時に響く靴音。長身の影が高層ビルの屋上を駆ける。
「そーの、回り込め!」
下から響く声。影は答えず、落ちれば即死であろうビルの合間を迷うことなく飛んで渡る。肩から下げている銃はM82A1。アンチマテリアル──対鬼用だ。鬼と化した者はヒトでは考えられぬ強靭な身体を得る。通常の銃ではカスリ傷を与えるのがせいぜいだ。
非常口の影で足をとめ、再び手に持ったM82A1を構え冷静に照準を合わせた。
ターゲットは銃口の先。遠ざかる姿に向かい、草野はゆっくりと引き金を引いた。
ライターの着火音。小さな赤い光が浮かび上がり、消える。紫煙が細く上がる。
足元には、こときれた男性。変化はすでに解け、普通の人間の姿だ。
やがて階段を駆け上る音が近づき、非常階段の扉が乱暴に開かれた。
草野はゆっくりと振り返った。
「藤城さん、早いな」
「どうだ、首尾は」
草野はポケットを探り、腕時計を藤城に渡す。
「…はい」
鬼が身につけていたものだ。
「…死んだのか?」
「足止めしたんですけどね。近づいた矢先に」
藤城は遺体に歩み寄り目を細める。銃痕は足にあった。致命傷には成り得ない。
首許の血溜まりの中に、金属片が見える。
「…掻き切ったのか」
──藤城が軽く黙祷する。
草野は吸いきった煙草を床に落とし、拾って携帯灰皿に突っ込む。
「結界は張りました。帰ります」
「おい、報酬は?」
「藤城さんが受け取って下さい」
「いいのか? 今回は俺、手伝いしかしてねーぞ」
「前回は1:2でしたから。どうせまた赤字出してるんでしょ?」
揶揄するような口調に、藤城が苦笑する。
「相変わらず遠慮がねえな。まあその通りだが」
ばたん、と非常口の扉が開く。
「藤城!」
「お、きたきた」
草野は目を細めた。
ぞろぞろと現れる作業服の男達。慣れた手つきで現場維持の作業を始める。
結界を張った場所を通常の人間は認識できない。それができるのは──同業者か、それに関わる集団だ。
最後に、私服の男性と女性がゆっくり出てきた。
「あんたが、そーのさん?」
男性は関西訛りの明るい口調で問いかける。絞めてるというよりぶら下がっているようなネクタイ、雑にまくった袖。
口許はにこやかだが、メガネの奥で瞳が鋭く光っている。
草野は藤城のほうへ振り返った。藤城が頷く。
「…そうですが」
肯定した途端、女性の目が冷ややかに草野を射た。昏い──憎しみの色。
「成田です。小隊長を務めとります」
差し出された手を、一瞬間を置いて軽く握り返す。
「で、こちらが霧咲いいます。副官やってくれとります」
「霧咲です」
抑えた口調で女性が名乗った。草野は軽く会釈を返した。
「霧咲、現場(ゲンジョウ)頼む」
「はい」
霧咲は横を通って作業員の一人と話し始める。それを確認し、成田はにこやかに草野に話しかけた。
「間に合って良かった。藤城からは腕のいい掃除屋と聞いております」
「…警察さんですか」
「お、わかりますか」
成田はごそごそと胸ポケットを探り、手帳を示す。そのまま顔を上げ──
「…いややなあ、そんなに警戒せんといてください」
明るい口調は変わらない。
「近々、私らの仕事に協力してほしいんです。藤城に話をしとったんですが」
「あ、悪ぃ。まだその話してねえわ」
──ぎぎぎぎ、と成田が藤城を振り返る。
「藤城…その話したの、1ヶ月も前じゃなかったか」
「そうだったっか?」
…沈黙。
草野がくすっと笑う。
「了解しました。連絡お待ちしています」
「連絡先は?」
「『プルートニク』を調べてください。個人請けはしていないので」
「…困りましたな。あまり情報をちらばしたくないんやけど」
「逆に都合がいいはずですよ」
「ま、ええわ。都合が悪かったら藤城経由でお願いするさかい」
「そうしてください。ではこの辺で」
「ああまたな」
草野は捜査員の間をすり抜け、非常口のノブに手をかけた。
「待ちや」
藤城と成田の後ろから、女性の鋭い声が届く。
「鬼人がいい気になってるんやないで」
「霧咲」
成田が声を遮る。
「でも」
「問題あらへん。俺がそういっとる」
「…はい」
霧咲は唇を噛み締めた。その様子を確かめ、草野は非常口の扉の向こうへ消えた。
「なるほど、一筋縄じゃいかなそうなやっちゃなあ」
「ああ。ま、腕は保証するぜ」
藤城が煙草に火をつける。
「俺にもくれや。…ムニン」
「…あまり残りねぇんだよ…あああ!」
「何や?」
「草野に煙草たかりそこねたあああ!」
「…藤城…」
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自宅マンションの玄関に佇む人影を確認し、草野は足を止めた。
「久しぶり」
ざわり、と風がケヤキの葉を鳴らす。鮮やかな猫金目が草野の姿を射抜いていた。
「…やあ」
奇妙な感触。毎日顔を合わせている同僚と再会の言葉を交わすなど。
「会いたかったんだよ。でも遼が嫌がるから、時間がかかっちゃった」
いつもより少し幼い言葉。もう一人の、二宮遼。普段は内側に潜んでいる、鬼の人格。
「…あまり遅い時間に歩いてると、明日がきついよ?」
「せんせこそ。もう、26時だけど?」
遼は左手首の腕時計を目の前にかざす。
「ごもっとも」
草野は苦笑する。
「…上がってく?」
家へ上がりこんだ遼は、居間に入るなりベッドに座り込んだ。すっかりお客さんの様相だ。どうやらこちらの遼はあまりマメではないらしい。
「体調はもういいの?」
「ああ。おかげさまで」
草野はカウンターの椅子に腰掛け、置いてあったピース缶と灰皿を引き寄せる。
「よかった。遼、すっごく心配してたんだ。あ、もちろん俺も心配してたけど」
「…そんなに心配してくれていたのか」
「うん。俺、せんせ大好きだから」
苦笑して答えると、ストレートな返事が帰ってきた。
普段とは打って変わった屈託の無い笑顔。…自分のことを他人のように話すのに、普段の遼の記憶をなぞって話しているような話し方に違和感を感じる。
「会ってからそんなに経ってないだろう。二回目じゃなかったか」
遼は一瞬真顔になり──そして破顔する。
「そっか。…せんせは勘違いしてるよ」
遼の目がまっすぐ草野の瞳を射る。金色の、細い三日月のような瞳孔。
「俺と遼は同じ記憶を共有してるんだ。俺の見たものを遼は覚えてるし、遼の聞いたことは俺も知ってる」
…得心する。『彼』は『遼』の五感を通じ、ずっと俺のことを観察していたということだ。
「遼はすっごく喜んでるんだ。友達ができたって」
「…? 俺以外にも友達はいるだろ」
「いないよ。遼は怖がってる。俺が遼の中にいるってこと」
確かめるように、短く言葉を切りながら、遼の中の鬼は言葉を紡ぐ。
「初めてなんだ。自分と同じように鬼を宿した他人と会うのは」
遼はベッドから立ち上がり、椅子に座っている草野の顔にぐっと自らの顔を近づけた。
「…せんせの目は、綺麗だね」
「そうか?」
「うん。ターコイズみたいな色。…せんせの目には、俺はどう見えてるの?」
「…?」
「せんせが着任して学校で紹介されるちょっと前に、『人でないものが見える目を持っている人』って聞いた。あ、聞いたのは遼だけどね」
「普段は使わないんだよ」
「ふうん」
遼は身体を離し、カウンターによりかかる。
「煙草くれる?」
「ピースでいいのか?」
「せんせ他に持ってないでしょ」
煙草をくわえ、その先を草野の吸う煙草の先につける。
「…やっぱり味が強いね」
煙を吐いて、遼はくすくす笑った。
「──遼、だから最初は怖がってたんだよ。自分のことがどう見えるかって」
「『遼』」
草野は吸っていた煙草を灰皿に置き、人差し指を唇に当てる。
「そこまで」
「え?」
「本人が俺に言わずにいることを、勝手に言うのはよくない」
遼が目を丸くする。
「どうして?『遼』は『俺』だよ?」
「それでも。…そういうことは、遼ちゃんが俺に伝えたくなったら言えばいいんだ」
「…嫌だった? 嫌いになった?」
「そうじゃなくて」
草野は苦笑する。小さな子供を相手にしているようだ。
「『お前』の話をしろよ」
「…俺の?」
「そう。俺は、お前の話が聞きたい」
遼が、吸殻を灰皿に置き──そのまま、草野の首に抱きついた。
「やっぱり、せんせ、好き」
嬉しそうな声を、耳許で聴く。
草野は戸惑ったが…遼の背中を軽く抱き、そのまま掌でぽんぽんと叩いた。
「あのね。待ってたんだ。諦めてたけど…待ってたんだ。
『俺がここにいていい』、て誰かが言ってくれるのを、ずっと待ってたんだよ」
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光が唐突に差し込んできた。
誰かがカーテンを開けたのだと気づいたのは直後。
「せんせ、起きろ」
うっすらと目を開く。遼が自分を見下ろしていた。金色の目は、すでに柔らかい焦げ茶へと変化している。何故か表情は不機嫌だ。
「遅刻するぞ」
「…おはよ」
身体を起こし、大きく伸びをする。床の上で寝ていたので姿勢が固まってしまっていた。
カウンターの上には、サンドイッチとコーヒーが並んでいた。
「本当に冷蔵庫の中何も入ってないんだな…電気代もったいないぞ。食うかわからないけど、コンビニで買ってきた」
「仕方ないだろ、物件に最初からついてたんだから…」
カウンターの傍らのベッドに座り、パッケージを開いてサンドイッチを一口かじる。椅子は一つしかないのだ。今度、もう一つ買ってきてもいいかもしれない。
「ベッド占領して悪かったな」
「気にするな」
もう一人の遼は、あのあといろいろなことを話してくれた。自分の存在を自覚したのはいつ頃か、鬼の自分から見たもう一人の自分について、など。そのうち、『眠くなった』というのでベッドに寝かしつけ、自分は床に毛布を敷いて寝っ転がったのだ。
二人で黙々と朝御飯を食べる。遼は一足早く自分の分のサンドイッチを食べ終わり、立ち上がった。
「…じゃ、俺先に行くから」
「早いんじゃない?」
「家に鞄とってこないといけないんだよ」
「…ああ。気をつけて」
廊下の入り口で遼が出ていくのを見送る。
「ん。…あ、せんせ」
「何?」
不機嫌な表情のまま。
「あいつが言ったこと、真に受けるなよな」
そう言い捨てると、扉を閉じて出て行った。
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早朝の人通りの少ない街を早足で歩き、──遼は立ち止まる。
口の中に残る煙草の味。草野の声が脳裏に蘇る。
誘われるように彼に話した、いくつものこと。
…あんな事を考えていたなんて、知らなかった。物心ついたときから一緒にあったはずなのに。
顔を上げる。地下鉄の駅の階段を降り──
なかったことにした。
『Writted by るりのん』