Playing Tag3
翌日。藤城は再度久我澤家を訪れた。
「で、いかがでしょうか。藤城先生のお見立ては」
先日仕事を請け負った際、老婦人には『まず当人を確認してから』という話はしてあった。どんな優秀な霊媒師でも、話を聞くだけで憑りついたものの正体を見定めるなど──ましてや祓うなんてことはできやしない。
「……この件に関しては、私の手は必要ないでしょう」
藤城の言葉に老婦人が軽く目を見張る。
霊媒師は祓うのが仕事。実際がいかさま師だとしても、せめてお祓いの真似事だけでもしなくては収入は発生しない。まさかそんな返事を返すとは思っていなかったに違いない。
「医者は──健康な人間にわざわざ要らない治療を与えたりはしないでしょう? まあ気休めに無難な薬を売りつけたりすることはあるでしょうけどね」
「ですが……!」
「奥様のお話と当人の様子を見て総合的に見立てた結論ですよ。お孫さんに異常はありません」
「そんなはずはありません」
老婦人は断固たる口調で言った。
「あれが普通の子供である訳がありません。あれは、鬼の子供なのだから……!」
藤城の目が細められる。
「……それは初耳ですね」
老婦人は口許を押さえた。
「ご存知の情報は洗いざらい教えてください、と申し上げたはずですが」
「それは……」
「今からでも構いませんよ。お教えいただきましょう。でなければ、この件はここで打ち切りにさせていただきます」
「ただいまー……」
こがねは玄関で小さく呟いた。
返事はない。──いつも通りだ。
朝通常通り学校へ行ったが、寒気が収まらなかった。その旨を担任の教師に伝えたところ、保健室に連れていかれ、微熱を確認し自宅へ帰されたという次第だ。
覚えがないが、冬の真夜中にパジャマ一枚で外をふらついていたのだ。そのせいだろうと思った。
廊下を横切って、自分の部屋へ向かう。
「──────あれは、鬼の子供なのだから……!」
いつになくヒステリックな老婦人の声に、こがねの視線が居間の中へ吸い込まれた。……鬼の子供。誰が……?
そう思って──この家の中にいる子供は、自分だけだと気づく。
鬼の子供……こがねが?
そして。
自分に背を向けて座っている、トレンチコートの後ろ姿。あれは──
思わず、後ずさった。後ずさって……背中に背負ったカバンが廊下の壁にぶつかる。
根付の鈴が、小さく鳴った。
居間の中の、トレンチコートの男がその瞬間こちらを振り向いた。
ふじしろ、さん──
反射的に、元来た道へ走り出した。
祖母の嫌悪を込めた叫び。その祖母の話を向かいで聞いていた藤城。
「──こがね!」
居間のガラス戸を開けて、藤城が叫ぶ。
追いかけようとして、一瞬老婦人のほうへ振り返る。
老婦人は冷静なまま、ソファに座っていた。
「好都合というものです」
老婦人は、薄く笑っていた。
「……あんた……鬼の子供ったって、孫なんだろう!?」
「久我澤の家には鬼の血をひく者はおりません」
藤城の顔にさっと血が上る。だが老婦人の言葉には答えず、そのままこがねの跡を追って走り始めた。
「和久井」
「はい奥様」
老婦人の傍らに立っていた年配の執事が静かに返事をする。
「『掃除屋』に連絡を取りなさい」
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こがねの足は意外に速かった。
「あー……何て足だよっ」
追いかけながら一人ごち──
(鬼の血……なのか)
と思う。
少女の姿が角の塀の向こうへ消えた。
「だあああっっ!」
藤城の足がアスファルトを蹴った。そのまま信じられない跳躍力を発揮し──塀の上に着地する。
少女が曲がった角は、直角ではないはずだった。ならば塀の上を斜めに突っ切っていけば、追いつける。
しばらくして、少女の姿を藤城は捉えた。
「見つけたああああああああ!」
こがねは一瞬振り返り──そのまままっすぐ走って──不意に足を止めた。
「!?」
鋭い音が、藤城の鼓膜を焼いた。
音の元へ視線を向ける。
低層ビルの上。アンチマテリアルライフルを構えた長身の影──
「……草野!?」
少女は立ちすくんでいる。自分を狙ってる者がどこにいるのか、彼女には判断できないのだろう。
「こがね!」
動けなくなっている彼女の手を取り、ライフルの死角に飛び込む。
「ふじしろ……さん……」
「怪我ぁないか!?」
少女はこくこくと頷いた。
「あんの野郎……ともかく、逃げっぞ!」
藤城は少女の身体を抱え上げ、走り出した。
どのくらい走っただろうか。
(やべえ)
かなり距離を詰められている。隣町ではあるが、歩き慣れた新宿とは違い地の利は向こうにある。
全速力で走っていた足を止める。
(しまった)
袋小路だ──
振り返る。
長身の影は既にそこに立っていた。
「草野……本気か?」
「俺はいつでも本気ですよ」
のほほんとした口調で草野は答え──一歩一歩間合いを詰めてくる。
藤城はこがねを背中のほうへ押しやり、両手を後ろに振った。いつの間にか、その手には日本刀らしきものが握られている。
「……器用だな、藤城さん」
「ほざけ」
草野はくすっと笑って藤城の正面へさらに間合いを詰める。
藤城は身構える。
「でも、甘い」
続きの声は、藤城の背中から聞こえた。
「ふじしろさぁん……」
「こがね!」
草野が、背後から少女の腕を取っていた。
「強いってわかってるのに、正面からぶつかったりしないよ」
左手に持ったナイフを確認し、藤城は身動ぎする。
「てめえ……」
「ごめんね、こがねちゃん」
根付の鈴が鳴った。
「……草野」
「時間稼ぎ」
長身が地面に転がった鈴を拾う。
「悪いけど、こがねちゃん匿って。俺はクライアント誤魔化すから」
ナイフをたたみ、草野はこがねの身体を藤城のほうへ押しやった。
「いやー助かるなあ」
「てめえ……そうならそうと……!」
「だって藤城さん、演技下手そうだから。ほら、敵を欺くにはまず味方からって」
「おまえなあああ!」
「言ったでしょ。俺はいい奴じゃないので。今回もただの感傷(きまぐれ)」
鈴を腰のマガジンポーチに落とし、二人の横をすり抜ける。
「じゃあね」
そして、塀の向こうに姿を消した。
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「で? その子を連れ帰ってきたワケですか」
「まあな」
水色の髪の青年が面白そうに笑っている。
藤城霊媒事務所。
「いやー。藤城さん完敗ですねー」
「負けてねえええええ」
言い返し──藤城はこがねのほうに目を落とす。
「だいじょぶか? こがね」
「うん……」
あのあと。草野が姿を消した途端、こがねは腰が抜けたようで、一歩も動けなくなってしまった。匿えとは言われたが特に思い当たる場所もなく、一旦本拠地へ少女を持ち帰ったという次第だった。
「……ごめんね逃げたりして」
「あ? 気にすんな」
煙草に火をつける。
「……おばあちゃん、やっぱりこがねのこと、好きじゃなかったんだ」
ぽつりと落ちた呟きに、二人は返す言葉を失う。
「何となく、こがね、わかってたの……でもね、こがね、気づきたくなかったんだ」
だんだん声が小さくなっていく。
「だって、おばあちゃんはパパのママだも……」
藤城は、つけたばかりの煙草の火を消した。
そのまま、こがねの身体をだきかかえ──あたまをぽんぽん、と叩く。
シャツに埋まった場所から小さな嗚咽が聞こえた。
しばらくして。
がちゃり、とドアが開いた。
「お邪魔しまっす」
草野だった。
「どなたです……?」
こがねにしがみつかれて動けない藤城の代わりに清水が玄関に向かう。
二人はしばらく会話を交わし──やがて草野は持ってきた封筒を清水に渡し、再び扉の向こうへ消えた。
「……何だって?」
「今回の報酬の半金ですって。藤城さんの迫真の演技のおかげで今回の仕事が終わったからって」
「あー嫌味なやつだなっ」
藤城は清水から封筒を奪い取り、中身に目を落とす。
そのまま固まった。
「……どうしました……?」
「これ、提示報酬の四分の三じゃねえか」
「え? ああ、確かに少し多めとは言ってましたけども……」
「冗談じゃねえ、こんなにもらえっか」
「もらっとけばいいんじゃないですか?」
「清水!?」
「こちとら、女の子一人預かってるんですから。預け先が決まるまで、全くお金がかからないワケじゃないでしょう。……あ、そうだ、こがねちゃん」
藤城の身体に顔をうずめていたこがねが、顔をあげる。
「これ」
清水が空のミルクコーヒー缶をこがねに渡した。
「わかんないけど、宝物なんだって? さっきのお兄さんが持ってきた」
「うん……」
こがねは空の缶を受け取って、ようやく、にっこりと笑った。
『Writted by るりのん』