Playing Tag1
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住宅街の路地裏で息を殺し、耳を澄ます。少し先を行くアスファルトを蹴る足音は軽く高い。
角を曲がる気配を確認し、静かに後をつけていく。
唐突に足音がカノンになった。
高い音を低い音が追う。高い音が止まると時間差で低い音も止まる。小休止。また高い音が駆け出して、それを低い音が追って──低い音は段々こちらに近付いてきている。
同業者か。頃合いを見計らってひょいっと足払いをかけてみる。
「うわっ」
……引っ掛かったよおい……
「何すんだお前!」
軽くよろけただけですぐに体勢を立て直した男は俺の襟首をひっつかんだ。
「……標的が逃げるぜ」
「ああ──くそっ」
男は襟首を掴んでいた手を離し──駆け出そうとする。
「まあ待てって」
翻るコートの裾を掴む。
「てめえっ」
「同業者の足引っ張るのは基本だろ」
煙草を咥えて火をつける。
「どっちにしろ気付かれたらもう捕まらない」
「間に合うかもしれねーだろ。相手は子供だ」
「いや、もう無理」
軽い足音は追手の存在に気付いたようだ。足音のピッチを急に上げ、小さくなり──消えた。
「嘘だろ?」
音の消えた方向を男が驚いて見る。
「……いや、鬼憑きならあり得るか……」
「『鬼憑き』?」
男が漏らした意外な言葉に俺は目を上げる。
「そうだよ」
苦い顔をして──男は肩を落とす。そのまま胸ポケットをさぐり──軽く舌打ちする。
「モクまで切れてやがる……お前一本寄こせ」
「何で」
「俺の足引っ張りやがったんだ、それくらい譲歩してもいいだろ?」
「まあ構いませんが」
マガジンポーチにしまい込んだ煙草を取り出し、軽くゆすって一本飛び出たところを相手に向ける。
「おう、ありがとよ」
男は煙草をとり、咥えて火をつけ、煙を深く吸い込んだ。
「ところであんた」
「あんたじゃねえ」
「だって俺あんたの名前知らねえし」
「藤城だ藤城」
「じゃ、藤城サン。あんたさっき『鬼憑き』って言ってたな?」
「言ったけどよ。名前教えたんだからお前名乗れよ」
「あんたが勝手に名乗っただけだ」
──藤城氏が派手にむせる。
「……な……狡ぃぞ!」
「狡いも何も……あんたと俺友達でも何でもねえだろ」
「俺は紳士なんだよ!紳士は自分から名乗るもんなんだ」
「紳士って柄かよ」
「少なくともお前よりかはな。……ああ、ったく、これ以上教えねえぞ」
「そーの」
「……あ?」
「草野和秀(そーのかずほ)。満足?」
「何なんだよお前」
「紳士云々にこだわりはないけど、『藤城サンより紳士じゃない』とか言われるとそれは問題な気がしてきた」
「お前なあ」
「名前教えたから続き教えて」
藤城氏は目を丸くしてこっちを見ていたが、やがて大声で笑い出した。
「……お前、面白え」
「そりゃ光栄」
傍らで強く光を放つ自動販売機にコインを突っ込み、出てきたホットコーヒーを放り投げる。
「っと。アブねえなあ」
「あんたならだいじょぶだろて思って」
もう一本買ったブラックコーヒーを開けて口をつける。市販のコーヒーって何でこんなに薄いんだろうか。まあ向こうじゃ自動販売機そのものが存在しないからこういうとき助かるが。
「孫に鬼が憑いてるってな。ご家族から頼まれたんだよ」
「──ああ。あのばあさん、あんたにはそういったのか」
植え込みのブロックに座り込み、コーヒーをすすりながら、依頼主の年配の婦人を思い出す。厳格な雰囲気が漂っていた。
「そう言ったのか、って……」
「あんた祓い屋か」
「そうだけど……草野お前、同業者とか言ってなかったか?」
「同業といえば同業だけど……俺はいわゆる掃除屋ってやつでして」
「な……!」
「俺はこう言われた。『孫が憑かれた。もう戻せないから殺してほしい』ってさ」
『祓い屋』と『掃除屋』。いわゆる「アヤカシ」に対峙する者であるという部分については共通だが、いわゆる標的に対するスタンスが違う。文字通り、祓い屋は標的から憑いているものを祓う。一方掃除屋は憑かれた者を滅するのが仕事だ。
「お前、それ受けたのかよ?」
「ああ」
「てめえ、あんな小さい子殺す気なのか!?」
藤城氏が詰めよる。
「話は最後まで聞けよ。……あの子は憑かれてるんじゃない。鬼人だ」
短くなった吸殻を踏み潰し、携帯灰皿に突っ込む。新しい一本に火をつけて、俺は再び言葉を接いだ。
「鬼人……?」
藤城氏の手の力が緩み、離れる。
「知らねえか? 鬼と人との混血だよ」
「いや、知ってるけど……そんな話は聞いてねえぞ」
「そりゃそうだ。それがわかっちまったら、あんたに依頼する意味がなくなる」
「どういうことだよ」
おそらくは頭がクエスチョンマークでいっぱいになってるであろう藤城氏に、逆に俺が質問した。
「あんた、祓いの能力はどんくらい?」
「まあ職業にしてるくらいだから、それなりに自信はあるが」
「あの子は人と鬼の直接的なハーフだ。そういう人間からむりやり鬼の部分をはぎとったら、まあ……死に至るだろうな」
藤城氏の顔が、だんだん事を理解したという顔つきになっていき──困惑の色を深める。
「じゃあ……」
「あんたが仕事に成功してあの子を死に至らしめても、それは単なる事故だしな。まあ俺の単なる悪意ある推測だけど」
「だけど、なぜ? 孫だろう?」
「血縁だからって愛情がかならずあるとは限らない。……だろう?」
「でも……」
「あの子は、ばあさんの息子が鬼の女性と恋に落ちて生まれた子だそうだ。……あのばあさんは自分の血筋に鬼の血を混ぜたくないのさ」
「そんな……そうだ、父親はどうしたんだよ。生きてんだろ」
「父親は知らないよ。ばあさんは秘密裏に事を進めてるだろうからな。死んじまえばあとはどういう理屈付けだって可能だし──あんた、この業界にいるにしちゃあ甘ちゃんだな」
藤城氏がむっとした顔をする。
「悪かったな。子供殺しは嫌なんだよ。──それよりお前はどうなんだよ」
「ん?」
「あの子を捕獲したら──殺すのか?」
「んー……とりあえず、話を聞いて、当人の意志を確認したいってとこだけど」
「……どういうことだよ」
「俺がこの依頼断っても、誰かが受けるだろ。となれば、俺が手を下さないってだけで見殺しにするのと一緒だ」
「……ああ」
藤城氏はにやりと笑った。
「あんたもそれなりに甘ちゃんだな。……いい奴だ」
「よせよ。柄じゃない」
空に白い色が滲んできた。
「単なる感傷なんだよ。俺も鬼人だからな」
『Writted by るりのん』